受賞者からのコメント
奨励賞を受賞して富山大学大学院医学薬学研究部(薬学)薬剤学研究室
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このたび,「血液組織関門における塩基性薬物吸排制御機構に関する研究」という題目で日本薬物動態学会奨励賞の栄誉を賜り,大変光栄なことと存じます.会長ならびに副会長,理事,評議員,選考委員の先生方,また,ご推薦頂きました細谷健一先生に厚く御礼申し上げます.思い起こしますと,私が本研究を開始したのは2011年4月のことであり,あの痛ましい東北地方太平洋沖地震の発生から間も無い時期でありました.仙台に居住しておりました私は,家族とともに自家用車で一般道を通って富山に移動し,辞令を受けることとなりました.本稿では,その後に私が携わりました血液網膜関門に関する研究について簡単に紹介させて頂きます.
網膜は視覚を司る枢要な神経組織であるとともに,その重要な機能が糖尿病網膜症や加齢性黄斑変性症などの網膜疾患によって損なわれ,重篤な視覚障害に繋がることが知られております.網膜疾患の発症は患者のquality of lifeを著しく低下させることから,その対処は重要な社会的課題の1つと位置づけられております.しかし残念なことに,網膜疾患の薬物療法は効率面と安全面において不十分と言わざるを得ない状況にあります.これを解決する有力な方策として,私の所属研究室は「血液網膜関門(blood-retinal barrier; BRB)を介した循環血液中から網膜への薬物送達』を長く提唱して参りました.
BRBは,網膜毛細血管内皮細胞による内側血液網膜関門(inner BRB)と網膜色素上皮細胞による外側血液網膜関門(outer BRB)の2つのバリア構造から成り,これらに発現する輸送機構の役割や機能,分子,局在を明らかとすることは,薬物網膜移行性の予測や新規薬物送達法の確立に繋がるものと期待されます.私が富山大学に赴任した当時,研究室では,薬物の網膜移行性を評価するin vivo解析手法であるretinal uptake index(RUI)の代替となるin vitro評価法の確立に向けて,in vitro–in vivo相関解析が開始されたところでした.私もこの解析に加わり,inner BRBモデル細胞株であるTR-iBRB2細胞(条件的不死化ラット網膜毛細血管内皮細胞株)を利用したin vitro評価法が,創薬の現場において迅速で簡便な薬物網膜移行性の検証に有用であることを報告致しました.
興味深いことに,in vitro–in vivo相関解析の検証過程において,カチオン性薬物であると同時にP-gp(ABCB1/MDR1)の基質でもあるverapamilが予測値よりも高いRUI値を示すことが明らかとなりました.このことは,integration plot解析において網膜への[3H]verapamil取り込みクリアランスが細胞間隙輸送マーカーよりも顕著に高い値となったこと,また,網膜への[3H]verapamil取り込みがカチオン性薬物であるpyrilamineなどによって有意に阻害されたことからも支持され,BRBにおけるverapamil取り込み輸送機構の存在が示唆されました.このような網膜でのverapamilの挙動は,脳におけるverapamilの挙動とは明らかに異なるものであり,それぞれ網膜と脳の組織関門であるBRBとBBB(blood-brain barrier,血液脳関門)が,カチオン性薬物に対して異なる関門特性を有することが示されました.BRBのverapamil取り込み輸送機構をさらに検証する目的で,TR-iBRB2細胞を用いたin vitro解析を実施したところ,inner BRBに存在するverapamil取り込み輸送機構は何らかの輸送担体を介することが示唆されました.in vitro阻害解析では,[3H]verapamil取り込み輸送はアニオン性化合物や既知の有機カチオントランスポーター(OCTsやOCTNs,MATE1,PMATなど)の典型的基質などによって阻害されないことから,inner BRBのverapamil取り込み輸送機構の分子実体は未知のトランスポーターであると考えられます.
近年の神経化学研究では,神経保護作用を示すカチオン性薬物が複数存在することが報告されており,これらは将来の網膜疾患治療薬の有力候補と期待されております.これまでのin vitro阻害解析において,inner BRBを介したverapamil取り込み輸送が神経保護作用を有するmemantineやdesipramine,propranolol,clonidineなどによって有意に阻害されることが示唆されており,BRBのカチオン性薬物取り込み輸送機構が神経保護作用薬を基質とする可能性が考えられました.特に,アドレナリンα2 受容体アゴニストであるclonidineに関しては,塩基性繊維芽細胞成長因子(basic fibroblast growth factor; bFGF)の発現を上昇させて虚血や興奮毒性による障害から網膜神経を保護することが知られており,そのBRBを介した輸送の検証を通じて,カチオン性薬物取り込み輸送機構の創薬上の意義を検証できると考えられました.In vivo解析の結果,[3H]clonidineのRUI値はin vitro–in vivo相関解析から予測されるよりも高い値となり,網膜への[3H]clonidine取り込みクリアランスが細胞間隙輸送マーカーに比して顕著に高い値となりました.加えて,TR-iBRB2細胞を用いたin vitro解析においては,inner BRBを介した網膜へのclonidine取り込み輸送が担体介在型輸送であることが示唆され,inner BRBにclonidine取り込み輸送機構が存在することが示唆されました.以上の知見は,BRBのカチオン性薬物取り込み輸送機構が,新規の網膜疾患治療薬を効率的かつ安全に網膜に送達する上で有用であることを強く支持するものです.
これまでに,網膜においてverapamilやpyrilamine,propranolol, nicotine,clonidineの取り込み輸送を検証し,複数のカチオン性薬物輸送機構がBRBに存在することを示唆して参りました.同時に,取り込み輸送機構に関しては,塩基性を有するL-ornithineやriboflavinなどの栄養物に着目した研究を展開し,BRBを介したこれらの網膜への供給にcationic amino acid transporter 1(CAT1/SLC7A1)やriboflavin transporters(RFVTs/SLC52A)が寄与することも示しました.さらに,BRBを介しカチオン性化合物の排出輸送機構に関する研究を展開し,in vivo解析であるmicrodialysis法によって,神経毒である1-methyl-4-phenylpyridinium(MPP+)やポリアミン類であるspermineやputrescineに対する排出輸送機構がBRBに存在することを示唆致しました.TR-iBRB2細胞や初代培養ラット網膜色素上皮細胞などを用いたin vitro輸送解析では,innerおよびouter BRBを介したMPP+排出輸送やinner BRBを介したspermineおよびputrescine排出輸送が担体介在型輸送であることが示唆されており,これら排出輸送機構が毒物や生理活性物質の排泄および濃度調節に寄与することが予想されます.
以上の研究成果は,独特の関門特性を有するBRBにカチオン性薬物取り込み輸送機構やカチオン性化合物排出輸送機構が存在することを示し,これらが新規網膜疾患治療薬の送達やその網膜移行性の予測に有用であることを強く示唆するものです.これら機構のさらなる検証が網膜疾患治療の向上に繋がるものと期待しております.さらに申しますと,BRBやBBBの研究に携わってきたここ数年の間に,組織関門の研究対象としての興味深さや奥の深さを強く感じるようになりました.今後も,組織関門における新しい輸送機構の発掘と機能検証,その分子実体の探索を通して,創薬に有用な知見の獲得を目指したいと考えております.
最後となりましたが,私の研究歴は多くの皆様のご指導とご支援で成り立って参りました.薬学研究の醍醐味をご教示下さった山口明人先生(大阪大学)と奥山治美先生(名古屋市立大学名誉教授,現 金城学院大学),薬物動態研究に携わるきっかけを与えて下さった辻 彰先生(金沢大学名誉教授),薬学系教員・研究者としての在り方をご指導頂きました加藤将夫先生(金沢大学),Vadivel Ganapathy先生(Medical College of Georgia, 現Texas Tech University),寺崎哲也先生(東北大学),大槻純男先生(東北大学,現 熊本大学)に厚く御礼申し上げます.また,本研究の展開にご指導・ご協力を頂きました細谷健一先生(富山大学),赤沼伸乙先生(富山大学),研究に真摯に取り組んで下さった薬剤学研究室の大学院生・学部生の皆さまに心より御礼申し上げます.