受賞者からのコメント
奨励賞を受賞して九州大学大学院 薬学研究院 薬物動態学分野
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このたび「遺伝子発現調節機構に着目した薬物動態の個人差要因の解明」 という題目にて,2020年度日本薬物動態学会奨励賞の栄誉を賜り,大変光栄に存じます.日本薬物動態学会会長 齋藤嘉朗先生,選考委員の先生方や本賞にご推薦いただきました九州大学病院薬剤部 教授 家入一郎先生に深く感謝申し上げます.
私はこれまでに,主に遺伝子多型解析,DNAメチル化解析,microRNA(miRNA)解析の3つのアプローチにより薬物動態関連遺伝子の発現調節機構の解明に取り組んできました.遺伝子多型については,これまでにbreast cancer resistance protein(BCRP, 遺伝子名ABCG2)において,ヒト胎盤における発現変動機構に寄与することを明らかにしました(Drug Metab Dispos. 2005;33(1):94-101).最近では,ヒト皮膚においてorganic cation transporter 3(OCT3, 遺伝子名SLC22A3)が,ヒト皮膚の表皮基底,皮脂腺,毛包,汗腺に顕著に発現していることを明らかにし,その発現量の個人差に5’上流域の遺伝子多型(-1603G>A)がプロモーター領域におけるp53の結合に影響を与えることでOCT3発現に関与することを明らかにしました(J Dermatol Sci. in press).同時に実施した臨床試験の結果,被検者の背中から採取したサンプル中のスクアレン濃度は,-1603A/Aのホモ接合体では,-1603G/Gのホモ接合体に比べて有意に低い結果を示したことから,皮脂分泌にOCT3の遺伝子多型が影響を及ぼすことが示唆されました.遺伝子多型解析は現在,一般化しており薬物投与時に,遺伝子多型の事前診断が求められる薬物も存在するようになってきました.その一方で,遺伝子多型のみでは十分に説明できない遺伝子機能の個人差も存在しています.近年,私は遺伝子配列の変化を伴わない遺伝子発現制御機構であるDNAメチル化に着目した検討を進めております.DNAメチル化とは,エピジェネティクスの主要な機構の一つであり,DNA鎖を構成するシトシンにメチル基が付く反応です.一般に,遺伝子のプロモーター領域がメチル化された場合,遺伝子の発現は低下します.ヒト肝におけるmultidrug and toxin extrusion protein 1(MATE1, 遺伝子名SLC47A1)において,CpG islandのDNAメチル化レベルとmRNA発現量との間に有意な負の相関を認め,DNAメチル化が薬物トランスポーター発現の個人差要因となることを初めて明らかにしました (Mol Pharmacol. 2018;93(1):1-7).また,ヒト皮膚におけるmultidrug resistance-associated protein 3(MRP3, 遺伝子名ABCC3)の発現は,CpG islandのDNAメチル化により制御されることを明らかにしており (Drug Metab Dispos. 2018;46(5):628-635),他の薬物動態関連遺伝子発現の個人差要因についてもDNAメチル化解析をさらに進めて行きたいと考えております.遺伝子の転写後調節機構であるmiRNAについては,その発現変動が薬物動態関連遺伝子機能の個人差要因となることも明らかになりつつあります.miRNAとは21-25塩基長の1本鎖RNA分子であり,内在性のRNAサイレンシング機構を担う代表的なshort non-coding RNAです.私はヒト肺がんにおいてfluorouracilの代謝律速酵素であるdihydropyrimidine dehydrogenase(遺伝子名DPYD)の発現がmiR-134により抑制的に制御されていることを明らかにしました (Lung Cancer. 2012;77(1):16-23).また最近では,ヒト肝においてmiR-24がorganic anion transporting polypeptide 2B1 (OATP2B1, 遺伝子名SLCO2B1)の重要な転写因子であるhepatocyte nuclear factor 4 alphaのmRNAを分解するとともに,OATP2B1の翻訳を阻害することを明らかにし,OATP2B1発現の個人差要因となることを示しました(Mol Pharm. 2020;17(8):2821-2830).
私の研究において遺伝子発現調節機構を解析する大きな目的の一つは,薬物治療の個別適正化の実現です.得られた基礎的な研究成果を薬物治療の臨床現場に展開するためには,遺伝子機能の個人差を予測するバイオマーカーの構築が必須であります.遺伝子多型は末梢血などの比較的採取が容易な試料由来のDNAを用いることで,遺伝子機能のバイオマーカーとして解析することが可能です.しかしながら,DNAメチル化やmiRNAは,同一個体内でも臓器ごとにその様態や発現量が異なっています.このため,遺伝子機能を予測したい臓器においてDNAメチル化やmiRNAを解析する必要がありますが,当該試料の採取は困難であることから簡便なバイオマーカーには成り得ないと言えます.そこで私は現在,末梢血から各臓器由来の細胞またはexosomeを分取し,得られたDNAやRNAを用いてDNAメチル化解析やmiRNA発現定量を行うことを試みています.特にexosomeは,細胞から分泌され,その表面は細胞膜由来蛋白質を含み,内部にはmiRNAなど分泌細胞由来の物質を含むという重要な特徴を有しています.このexosomeの特徴に着目して,私は末梢血から得られたexosomeから,消化管の膜に特異的に発現する蛋白質であるglycoprotein A33に対して免疫沈降を行うことで,血中に存在する消化管から分泌されたexosomeを分取しmiRNAを定量する手法を構築しました.これまでにmiR-328がBCRPの発現を抑制的に制御しており,miR-328発現量の個人差がBCRP発現の個人差要因となることを明らかにしてきました(PLoS One. 2013;8(8):e72906.).そこで,血中の消化管由来exosome内のmiR-328量がBCRP活性を推定するバイオマーカーになる可能性があると考え,臨床試験を実施しました.臨床試験の結果,消化管由来exosomeにおけるmiR-328量はBCRPの基質薬物であるスルファサラジンのAUCと正の相関を示し,miR-328量が高い被験者は消化管のBCRP活性が低いことが示唆されました(Sci Rep. 2016;6:32299).本研究にて構築した臓器由来のexosomeの分取法は,末梢血から各臓器における遺伝子機能を予測することを可能とする重要な解析法であり,本手法を用いた他の薬物動態関連遺伝子の研究も精力的に進めております.ここまでに紹介した多くの研究は,基礎研究により同定した薬物動態関連遺伝子の変動機構に基づき,バイオマーカーの構築を試み臨床試験を実施したものであり,自らの研究グループのみで完遂することは困難であります.これまでも薬物動態の分野のみならず医学部,病院など幅広い研究者の方々と共同研究を進めてきましたが,今後も多様な分野の研究者との協力を一層推し進めることで臨床における薬物動態学の展開を実現していきたいと考えています.
最後に,学生時代の研究指導から今日に至るまで,常に温かいご指導をいただきました九州大学病院薬剤部 家入一郎先生に心から感謝申し上げます.また,共同研究においてご指導ご協力いただいた先生方や,共に研究に取り組んでくれた学生の皆さんに深くお礼申し上げます.