Newsletter Volume 35, Number 1, 2020

受賞者からのコメント

顔写真:伊藤慎悟

奨励賞を受賞して

熊本大学大学院生命科学研究部(薬)微生物薬学分野
伊藤慎悟

 この度,「神経変性疾患発症に関わる脳関門物質動態制御機構の解明と創薬への展開」という題目で,2019年度日本薬物動態学会奨励賞の栄誉を賜り,大変光栄に存じます.日本薬物動態学会会長 山崎浩史先生,選考委員の先生方,ならびに本賞にご推薦頂きました熊本大学大学院生命科学研究部(薬)教授 大槻純男先生に厚く御礼を申し上げます.本稿では,受賞対象となりました「神経変性疾患発症に関わる脳関門物質動態制御機構の解明と治療法創出の統合的研究」という独自の研究コンセプトを基盤とした研究について下記に紹介させて頂きます.

1.血液脳関門(Blood-brain barrier; BBB)とアルツハイマー病(Alzheimer’s disease; AD)

 BBBは最も強固なバリア機能を有する生体関門である.BBBの解剖学的実体は脳毛細血管内皮細胞がアストロサイトの足突起とペリサイトによって取り囲まれている脳毛細血管である.この中で脳毛細血管内皮細胞が強力な密着結合による物理的障壁とトランスポーターなどの物質輸送機構による動的インターフェースを介して選択的物質輸送による脳内恒常性維持の中心的役割を果たしている.一方,ADは記憶や知的機能が徐々に失われる老年性認知症の原因としては最も頻度が高い神経変性疾患である.これまでの基礎および臨床知見から,アミロイドβペプチド(amyloid-β peptide; Aβ)の蓄積がAD脳で観察される様々な病理変化の最上流に位置し,神経細胞の機能障害と脱落の引き金となっていることが考えられている.

 私はBBB物質輸送機能破綻とAD発症・進展の関係に着目し,まず,脳からの排出過程をin vivo系で解析する方法として開発されたBrain Efflux Index(BEI)法を用いて,BBBを介した
125I-human Aβ(1-40)(hAβ (1-40))排出輸送特性とそれに関わる分子について検討を行った.その結果,125I-hAβ(1-40)は消失半減期43 – 45分でラットおよびマウスBBBを介して脳内から消失した1,2.この125I-hAβ(1-40)排出速度はAβ蓄積過程の最初の段階であるAβの二量体や加齢によって顕著に減少した3,4.さらに,BBBを介した125I-hAβ(1-40)排出速度はADの遺伝学的危険因子であるアポリポタンパク質E4(apoE4)と結合した場合,apoE2やapoE3と結合した場合に比べて減少することを見出した4. 次に,BBBを介したhAβ(1-40)排出輸送に関わる分子に関してBEI法を用いて解析を行った.その結果,BBBにおけるhAβ(1-40)排出輸送に関わる分子として報告されていたlow-density lipoprotein receptor-related protein 1(LRP-1)やP-glycoprotein(P-gp)の寄与は小さく,インスリン感受性分子機構が関与することを見出した1,2,5.そこで,BBBにおけるインスリン感受性分子を解析した結果,インスリン分解酵素がhAβ(1-40)の脳毛細血管内皮細胞への内在化に関与することを明らかにした6.興味深いことに,慢性脳酸化ストレスモデルであるα-tocopherol transfer protein遺伝子欠損マウスではBBBを介した125I-hAI(1-40)排出速度は減少し,脳毛細血管におけるLRP-1やP-gpタンパク質発現量は増加する一方,脳内インスリン分解酵素のタンパク質発現量は顕著に低下していた3.以上の結果から,脳内Aβが二量体などの多量体化や脳内Aβ結合タンパク質であるapoEタンパク質との結合によってBBBを介したAβ排出輸送に影響を与えること並びにインスリン分解酵素の発現低下が脳内Aβ蓄積とそれに伴う認知機能低下を惹起するメカニズムの1つであることが示唆された.以上の結果から,BBBにおけるインスリン分解酵素はAβ蓄積を抑制する新しいAD治療標的分子となり,その機能を分子レベルで制御する化合物はBBBを標的とした新しいコンセプトのAD治療薬なることが期待される.

2.BBBと糖尿病

 糖尿病は微小血管障害を起因とする末梢の代謝障害であり,近年,疫学調査から認知症発症への関与が報告されている.BBBは脳の微小血管であり,脳内の恒常性維持に寄与している.従って,糖尿病によるBBBの機能障害がADを含む認知症発症に関与していることが考えられる.そこで,私は網羅的にタンパク質を定量できる”Sequential window acquisition of all theoretical fragment ion spectra mass spectrometry(SWATH-MS)法を用いた定量プロテオーム解析法を用いて,高脂肪食負荷糖尿病モデルマウスのBBBおよび脳実質のタンパク質発現変動を網羅的に解析し,糖尿病病態がBBBと脳実質にどのような影響を与えるかを検討した7.体重,空腹時血糖値,血清インスリン濃度の推移から,2週間の高脂肪食負荷(HFD)群は軽度インスリン抵抗性状態を,10週間のHFD群は重度インスリン抵抗性状態を示した.SWATH法を用いた網羅的定量プロテオミクスの結果,軽度インスリン抵抗性状態のBBBにおいて,脳実質への糖輸送を担うGlut1や異物排出に関わるMdr1,BBB密着結合を構成するClaudin-5及びOccludinなどの発現が有意に低下していた.また,海馬・大脳皮質においては,細胞質画分において神経細胞骨格を形成するNeurofilamentや記憶・認知機能に重要なCa2+/calmodulin-dependent protein kinase II (CaMKII)の発現が有意に低下していた.一方,重度インスリン抵抗性状態では,BBBのGlut1やMdr1, Claudin-5と海馬・大脳皮質のNeurofilament, CaMKIIの発現が上昇傾向にあり,脳実質へケトン体の輸送を行うMct1の発現が有意に上昇していた.以上の結果から,軽度インスリン抵抗性状態ではGlut1の発現・機能低下を介した脳実質への栄養供給低下により神経関連タンパク質の発現低下に伴う記憶・認知機能の低下が起きている可能性が考えられる.一方,重度インスリン抵抗性状態ではMct1やGlut1の発現上昇を介した脳実質への過剰な栄養供給により神経関連タンパク質の発現が上昇している可能性が考えられる.従って,インスリン抵抗性状態に依存したBBB輸送機能の変化が脳実質のタンパク質発現変動に影響を与えている可能性が示された.今後,BBBと脳実質間のタンパク質発現変動メカニズムを解明することにより,BBBを標的とした中枢疾患治療薬の開発につながることが期待される.

3.BBBを介した脳への中分子・高分子医薬品の送達法の開発

 ADを含む神経変性疾患において,脳内の異常タンパク質を除去する抗体医薬や疾患発症に関わる酵素等のタンパク質などのバイオ医薬品および疾患発症原因遺伝子を標的とした核酸医薬が根本治療薬として期待されている.しかし,バイオ医薬品や抗体医薬は中・高分子化合物のため,BBBをほぼ100%透過しない.私はこれまでに,環状ペプチド提示ファージライブラリーとin vitro透過実験を組み合わせた独自の生体関門透過環状ペプチドスクリーニング法を考案し,Caco2細胞を用いて小腸透過環状ペプチドを同定した8.次に,構築した環状ペプチドスクリーニング法を用いて,ヒトBBBを透過する環状ペプチドを同定するために,ヒトBBBモデル細胞(hCMEC/D3)を用いたスクリーニングから,ヒト,サル,ラットin vitro BBBモデル細胞およびin vivoマウスBBBを透過するBBB透過環状ペプチドを同定した.現在,BBB透過環状ペプチドを用いてリポソームやAD治療薬として最も注目されている抗体医薬の効率的脳送達法の開発を行っているところである.

4.おわりに

 私は神経変性疾患発症に関わる物質の脳関門動態制御機構の解明を発端に神経変性疾患発症機序から治療薬の脳内送達技術開発まで横断的に独自性の高い研究を展開してきた.今後は,さらにこの研究を発展させ,BBBを標的とした神経変性疾患治療薬の開発につなげていきたいと考えている.

 最後に,博士課程時代からBBBにおける排出輸送研究について厳しくも温かくご指導して頂きました東北大学大学院薬学研究科寺崎哲也教授,学生時代から現在まで研究に対して的確な助言を頂いている熊本大学大学院生命科学研究部(薬)大槻純男教授に感謝いたします.また,本研究を遂行するに当たり,共同研究でご指導・御協力を頂きました先生方に深謝するとともに,研究に御協力頂きました学生のみなさんにも感謝いたします.

5.参考文献

  1. Ito, S., Ueno, T., Ohtsuki, S. & Terasaki, T. Lack of brain-to-blood efflux transport activity of low-density lipoprotein receptor-related protein-1 (LRP-1) for amyloid-beta peptide(1-40) in mouse: involvement of an LRP-1-independent pathway. Journal of neurochemistry 113, 1356-1363 (2010).
  2. Ito, S., Ohtsuki, S. & Terasaki, T. Functional characterization of the brain-to-blood efflux clearance of human amyloid-beta peptide (1-40) across the rat blood-brain barrier. Neurosci Res 56, 246-252 (2006).
  3. Nishida, Y. et al. Depletion of vitamin E increases amyloid beta accumulation by decreasing its clearances from brain and blood in a mouse model of Alzheimer disease. The Journal of biological chemistry 284, 33400-33408 (2009).
  4. Ito, S., Ohtsuki, S., Kamiie, J., Nezu, Y. & Terasaki, T. Cerebral clearance of human amyloid-beta peptide (1-40) across the blood-brain barrier is reduced by self-aggregation and formation of low-density lipoprotein receptor-related protein-1 ligand complexes. Journal of neurochemistry 103, 2482-2490 (2007).
  5. Ito, S., Matsumiya, K., Ohtsuki, S., Kamiie, J. & Terasaki, T. Contributions of degradation and brain-to-blood elimination across the blood-brain barrier to cerebral clearance of human amyloid-beta peptide(1-40) in mouse brain. Journal of cerebral blood flow and metabolism 33, 1770-1777 (2013).
  6. Ito, S. et al. Involvement of insulin-degrading enzyme in insulin- and atrial natriuretic peptide-sensitive internalization of amyloid-beta peptide in mouse brain capillary endothelial cells. Journal of Alzheimer’s disease 38, 185-200 (2014).
  7. Ogata, S., Ito, S., Masuda, T. & Ohtsuki, S. Changes of Blood-Brain Barrier and Brain Parenchymal Protein Expression Levels of Mice under Different Insulin-Resistance Conditions Induced by High-Fat Diet. Pharmaceutical research 36, 14 (2019).
  8. Yamaguchi, S., Ito, S., Kurogi-Hirayama, M. & Ohtsuki, S. Identification of cyclic peptides for facilitation of transcellular transport of phages across intestinal epithelium in vitro and in vivo. Journal of controlled release : official journal of the Controlled Release Society 262, 232-238 (2017).