ハワイの日米合同学会を振り返って (1)
「その裏話と教訓」
マウイ合同学会 日本側Co-Chair
北海道大学大学院薬学研究科
鎌滝 哲也
昨年の10月22日は日本薬物動態学会の20周年記念年会で,ハワイの合同学会は10月23日からでした.早いもので,もう半年近くも経ちました.今頃になって,漸くほとぼりも冷めました.丁度,ISSX NEWS LETTERで合同学会の特集が出るそうですから,それに合わせて動態学会でも後進の方々のために何か残しておいたら良いのではないかと思いました.
この学会の事の起こりは,1999年10月にNashvilleで開催された北米ISSXの期間中,ある夜Dr. John Gorrodと一緒に飲みに行ったときのことから始まります.彼は「日本人はなぜISSXの会員になってくれないんだろう」と嘆いておりました.私も実情を聞いて,「なるほど,これはまずいな」と思ったのでした.彼は,「日本人がISSXに関心を持ってくれるためにも,日米合同学会をハワイでやらないか」と言い出しました.私は,「うん,是非やろう」といえる立場ではありませんでしたから,「日本へ帰ったら相談してみる」と話しました.
帰国して,まずやったことは私から言い出して,「ISSX会員獲得キャンペーン」でした.毎号の薬物動態誌に「会員になったらどんなメリットがあるか」など「功利的でわかりやすい」広告を出しました.見事に効果があって,会員数は鰻登りで,以前と比較して2.5倍以上もの会員数となり,これは2位だったイギリスを抜いてアメリカに次ぐ第2位になってしまったのです.
この間にはISSXからの正式な申し入れもあり,ハワイで合同学会が開催されることになりました.開催地の決定やその他のことで様々なことがありましたが,省略することにいたしましょう.
日本薬物動態学会で引き受けるということで,当時の動態学会役員が中心となって組織委員会が出来ました(組織委員会のメンバーの表).実はその前にプログラム委員会と称する「核」となる委員会が立ち上がりました.その後になって役割を明確にした正式な組織委員会が完成しました.各委員の先生方はそれぞれの役割分担に対して誠実にしかも時間を使って頑張ってくださいました.基金集めには杉山先生と千葉先生が様々な角度から活躍してくださいました.この合同学会は日本側は私と私の研究室ではありません.動態学会が引き受けたのですから,赤字になったときには動態学会が補填することになります.黒字になったらこれも動態学会に帰ってくることになります.赤字にならないように頑張ってくださいました.プログラムは乾先生と池田先生が担当してくださいました.超ご多忙な乾先生をカバーして池田先生がスーパーマン的に頑張ってくださいました.私も立場上,プログラムを一通りは目を通さないわけには行きません.しかし,あまりにも膨大な量の仕事で,私は途中で理解するのを諦めました.池田先生は会社の仕事を犠牲にしてもやり遂げてくださいました.大塚事務局長は事務局長とはいえ,元動態学会の理事でもあり財務委員長でしたから,普通の事務局長とは違います.しかも,すべての状況を把握してくれております.私は他の先生方ともご相談して,大塚先生にも組織委員として名前を入れさせていただきました.大塚先生に対応する立場の組織委員は北米側には居りませんでした.強いて言えば,Nancy Holahanでしょうが,彼女は組織委員ではありませんでした.単なる事務局長です.大塚先生は事務局長としての責務も果たし,組織委員としての責務も負わされました.しかし,「自画自賛」で恐縮ですが,私は今回の学会の成功はこの人事が大きかったように思います.大塚先生は責任感が強く,合同学会の企画や業務すべてを完全に把握して,それこそ完璧にやってくれました.日本側代表の私ですら大塚先生に指示を仰ぐ場面が一度や二度ではありませんでした.後進の方々が同じような国際的な学会をおやりなることがありましたら,大塚先生のような人材をみつけ,お任せすると成功間違いなしです.その時の代表者も大助かりのはずです.
私が果たしたほとんど唯一の功績があります.合同学会を開催することが合意になってから,様々なことがありました.やりとりがありましたが,どうもちぐはぐなのです.たとえば,CORAシンポジウムという社会的な問題を扱うシンポジウムがあります.このようなシンポジウムはやった方が良いのだそうですが,やることは義務ではありません.結論的にはこのシンポジウムは日本側の主張で立ち往生にしてしまいました.このシンポジウムではJohnからの提案で,ヒ素の毒性を扱いたいとのこと.申し出があったことは日本側の組織委員も承知していたのですが,よもや決まったとは思っておりませんでした.ところが,Johnの方からこれは決まったことだと言われました.会議の議事録に書いてあるというのです.なるほど,良く議事録を読めばそう書いてなくもない(明確ではないから)のです.彼はすでに企画の詳細までも誰かに依頼してあったらしく強硬です.それでも,日本側としてはヒ素毒性のシンポジウムなど組んだら学会のイメージが崩れるし,参加者数が減ることはあっても増えることは絶対にありません.そこで杉山先生からのご発言.「このような議事録は詳細に読まなくてはいけない・誤解がある場合もある」とのこと.しかし,このときは杉山先生にも「よもや・・・」でしたから,先生も驚きだったようです.ISSXの事務局長のNancyも日本のことが詳しくありませんでした.いまではきっと大の日本ファンで日本通ですが,当時は「日本薬物動態学会なんてISSXの下」としか思っていなかったのでしょう.Johnの態度と言い,Nancyの態度と言い,腹の立つことが多かったのです.それでも我が日本薬物動態学会の組織委員は紳士ですから,じっと耐えておりました.ヒ素毒性のシンポジウムのことがきっかけだったか記憶が明確ではありませんが,ある時私は決断したのです.「このままだったら,何のための合同学会だ.動態学会の会員が引け目を感じながらやっても意味がない.却ってマイナスだ.よし,ここは合同学会を取りやめることにしよう.最悪の場合は皆さんに平に平に謝って,札幌で開催することにしよう.皆さんもきっといつか理解してくれるだろう」.
それで,私はJohnとNancyにメールを書いたのです.「日本薬物動態学会とISSX(全世界)の会員数はほとんど同じである.しかも,日本薬物動態学会の方が歴史が古い.完全に対等に合同学会を開催するのでなければ,この合同学会は取りやめることにする」.このメールにはJohnもNancyも驚愕しました.ここで取りやめられては,彼らはどうしてよいか分かりません.このメール以降,彼らの態度は一変しました.私のメールだけではなく,日本側の組織委員の実力もじわじわと分かってきた頃だったのです.このような背景があって,マウイ島の学会では,参加者の皆さんは「変だな」と思うくらいに日本側の立場は対等だったと思います.その陰には上記のような「やくざっぽい」メールがありました.ここでも教訓です.後進の方々は,国際的な合同学会の企画には「議事録を必ず精読すること.言うべきことは我慢しないで言うこと」.
(2006.3.3記す)
ハワイの日米合同学会を振り返って (2)
「鎌滝年会長の意見への追加:学会のグローバル化のためにも」
マウイ合同学会 日本側基金・財務担当
東京大学大学院薬学研究科
杉山 雄一
鎌滝先生が書かれている通りで、議事録の精読と、曖昧な表現のところは具体的な表現に直すようにこちら側から要求することが必要です。さらに少し追加させて頂きます。
私はこれまでもFIPのサイエンス部門の委員長、現在、ISSXの会長として、多くの会議に参加したりchairを務めてきました。私自身、サイエンスの英語はほぼ間違いなくフォローできますが、こういう会議になると、集中して聞いても80%程度しか聞き取れていません。多くの日本人の先生もそうだと思います。まして、native speakersどうしが気をいれた議論をしだすと早口になりますし、イディオムをよく使い始めます。こういう場合に、黙っていて曖昧なままにして、会議をやりすごすのはよくありません。経験を通してベストと思われるやり方は、“今、議論していることの概観は理解できるが、詳細なところで理解できないことがある。****については、このように理解してよいですか?”と、自分の言葉を用いて、それまで議論していることを会議中に発言することが重要です。そのことによって、自分が会議に積極的に参加できますし、また、他の方々も私がこの会議に関わってきていることを理解してくれるのです。何も言わないでただ会議に出ているだけですと、この日本人は全く会議に参加する気がないのか、言っていることを理解してない、と思われてしまいます。
私も国際的な場に出始めたときは、理解度が30%前後だったこともあります。そういうときは、集中して聞くこと自身が苦痛になります。ですので、会議のところどころで、自分の理解度が正しいかどうかの確認をしていく必要があります。皆さん、是非とも、実行してみましょう。そのことによって、会議に集中して参加することができます。集中しないといつまでたっても耳が慣れてきません。その繰り返しによって、質問の仕方や、少しお洒落な表現なども覚えることもできます。
(2006.3.12記す)