Newsletter Volume 38, Number 6, 2023

受賞者からのコメント

顔写真:松永民秀

学会賞を受賞して

名古屋市立大学大学院薬学研究科 臨床薬学分野
松永民秀

 この度,「薬物動態研究に有用なヒトiPS細胞由来細胞の開発」という題目で,日本薬物動態学会・学会賞の栄誉を賜りました.日本薬物動態学会会長の山下富義先生,理事会の先生方および学会賞等選考委員会の先生方を始め,関係の諸先生方に心より感謝を申し上げます.また,本賞にご推薦を賜りました琉球大学病院 教授・薬剤部長の中村克徳先生に,厚く御礼を申し上げます.このような栄誉は,これまでご指導や共同研究等を賜りました,大森 栄先生,佐々木克典先生,田川陽一先生,梅澤明弘先生,阿久津英憲先生,永田 清先生,中村克徳先生,岩尾岳洋先生,坡下真大先生,堺 陽子先生を始めとする諸先生方,美馬伸治様(現 和歌山県立医科大学),今倉悠貴様はじめ多くの共同研究企業の担当者の方々並びに熱心に研究を遂行していただいた多くの学生のお陰であり,心より深く御礼を申し上げます.

 私は第一薬科大学を卒業後,九州大学大学院薬学研究科の吉村英敏先生(衛生化学・裁判化学教室)の下で,修士および博士課程を修了し,学位を取得いたしました.吉村先生の研究室では,裁判化学の領域から薬物代謝を研究されており,私が薬物動態研究に関わったきっかけになります.大学院入学当初は,小腸のUDP-グルクロン酸転移酵素に関する研究テーマでした.マウスの腸管から粘膜をかき取ってミクロゾームを調製し,活性を測定しましたが,タンパク質の回収率も活性もなかなか再現性の高い結果を出せず半年ほどでテーマを変えることになりました.しかし,この経験により小腸に対する興味をずっと持ち続けることになりました.学位取得後直ちに米国立衛生研究所,国立がん研究所のFrank J. Gonzalez博士の下にポストドクとして2年間留学し,CYP2D6の遺伝子多型とラットのCYP2A遺伝子配列解析およびその機能について研究を行い,当時研究技術として必須となりつつありました分子生物学的技術や研究に対する考え方を学ぶことが出来ました.

 帰国後,北陸大学の山本郁男先生(衛生化学教室)の下で助手として採用して頂き,主に大麻の幻覚作用本体であるテトラヒドロカンナビノール(THC)の代謝に関わるP450分子種について研究を行いました.その中でも特に,THCの11位メチル基が水酸基を経てアルデヒド基まで代謝された11-oxo-THCをカルボン酸体に代謝するミクロゾーム酵素(MALDO)と7位第二級アルコール体をケトン体に代謝するミクロゾーム酵素(MALCO)の本体であるマウス,ラット,モルモット,サル,ヒトのP450分子種を同定しました.当時,大森先生は千葉大学においてサルを中心に,モルモットなども含めP450の精製とその性質の解析を行われており,学会等ではよく声をかけて頂いておりました.その様な縁もあってか,大森先生が信州大学医学部附属病院薬剤部教授・薬剤部長に就任された際に,私に助教授・副部長として研究を立ち上げてもらえないかと声をかけて頂きました.それまで,病院勤務は全く考えもしていませんでした.しかし,当時教員を続けるか悩んでいた時でしたので、もし大森先生から声をかけて頂いていなければ、恐らく大学の教員を続けていなかったと思います。

 信州大学に着任してすぐ、大森先生より「信州大学ではこれまでお互いにやってない新しい研究テーマを始めたい.信州大学は日本で初めてヒトES細胞の分化誘導に関して文科省への申請を行うことから,ヒトES細胞から肝細胞を作製してみないか」との話があり,ES細胞の分化誘導研究を始めることにしました.しかし、当時ヒトES細胞研究者として文科省に申請するには,先ずはマウス,次はサルのES細胞で実績を積まなければならず,ヒトES細胞の研究を始めるまでにずいぶん時間がかかりました.

 名古屋市立大学薬学部臨床薬学教育研究センターの教授として採用され,2009年8月に赴任しました.名古屋市立大学ではES細胞からiPS細胞研究に方向転換し,先ずはヒトiPS細胞から肝細胞への分化誘導を始めました.ES細胞やiPS細胞から肝細胞への分化誘導の報告は既に多く出されておりましたが,当時分化誘導される肝細胞は未成熟で胎児様の幼弱な細胞であることが課題でした.組み換えタンパク質のサイトカイン類や成長因子類は非常に高価なため,多くの研究者が採用している条件ではとても研究を継続できないと思い,低分子化合物を用いた分化誘導法の開発に取り組みました.これが結果的に,私達の分化誘導法の特色となり,安価に安定して分化誘導できる強みとなったと思います.

 当初,肝細胞への分化に低分子化合物としてジメチルスルホキシドを用いていましたが,それだけでは分化誘導効率も極めて低く,得られる肝細胞は未熟でした.低分子化合物の探索の結果、医療では抗てんかん薬として使用されているバルプロ酸が,肝細胞への分化誘導を顕著に促進することを見出しました.バルプロ酸は,γ-アミノ酪酸トランスアミナーゼ阻害作用,Na+やCa2+チャネル遮断作用,ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害作用など様々な作用を有しています.そこでどの作用が肝細胞への分化誘導に寄与しているのか検討を行った結果,HDAC阻害作用が肝細胞への分化誘導促進効果の本体であることを明らかにしました.しかし,肝細胞の分化誘導研究は既に非常に多くの研究者が行っており,私達ではいまさら追いつくことはとても困難な状況でした.

 そこで,新たな細胞として思いついたのが修士の時に最初にテーマとして与えていただきました小腸でした.医薬品の多くは経口投与されていますが,肝細胞と異なり生体由来の正常な小腸上皮細胞の入手は極めて困難であるため,吸収の評価には結腸がん由来Caco-2細胞等の株化細胞がモデル細胞として世界中で広く用いられています.しかし,薬物代謝酵素やトランスポーターの発現パターンが大きく異なり,小腸の主要な代謝酵素であるCYP3A4の発現が低く,リファンピシン等PXRのリガンドによるCYP3A4の誘導も認められません.また,その当時ES細胞やiPS細胞から腸管細胞への分化誘導に関する論文は私どもが知る限り全く有りませんでした.そこで,ニッチな研究領域ですが,薬物動態試験にとってとても重要となるヒトiPS細胞から腸管細胞への分化誘導研究にチャレンジすることとしました.

 最初は手探り状態でしたが,腸管上皮マーカーや薬物代謝酵素,薬物トランスポーターを発現し,PEPT1を介したペプチド取り込み能を有する細胞をどうにか作ることができましたので,Drug Metab Pharmacokinet誌に発表しました(Drug Metab Pharmacokinet, 29, 44-51, 2014).ヒトiPS細胞から腸管細胞への分化誘導に関する報告が殆ど無かったこともありDMPK Editors’ Award for the Most Excellent Article in 2014(3rd Place)を頂くことが出来ました.しかし,この段階の細胞はむしろCaco-2細胞より機能的に劣る細胞であったため,更なる改良が必要でした.

 肝細胞の分化誘導の経験から,分化促進効果が期待できそうな低分子化合物の候補を見出し,実際に添加実験を行うことで最終的にmitogen-activated protein kinase kinase(MEK)阻害剤,DNAメチルトランスフェラーゼ阻害剤およびtransforming growth factor-β(TGF-β)受容体阻害剤の併用が,ヒトiPS細胞から腸管上皮細胞への分化を促進することを見出しました(Drug Metab Dispos, 43, 603−610, 2015; Drug Metab Pharmacokinet, 31, 193−200, 2016).これにより,分化効率は劇的に高くなり,腸管マーカーや薬物代謝酵素のmRNA発現が生体に近いレベルにまで上昇しました.しかし,最も重要なP-gpの活性がほとんど検出できなかったことと,CYP3A4の活性がまだ低かったことから,新たな低分子化合物の検索を行いました.その結果,細胞内cAMP量の増加が有用であると期待されましたことから,細胞に直接導入する8-Br-cAMPとcAMP分解を抑制する3-イソブチル-1-メチルキサンチンで検討,顕著な効果を得ることができました(Drug Metab Dispos, 46, 1411−1419, 2018).しかし,まだ十分でなかったことから細胞内の生合成を促進するフォルスコリンを添加したところ,腸管マーカー,薬物代謝酵素,薬物トランスポーターの発現パターンが成人小腸に近い細胞を作製することに成功しました(Drug Metab Pharmacokinet, 35, 374−382, 2020).まだいくつか欠点がありましたが,共同研究先である富士フイルムの技術と組み合わせて開発されたヒトiPS細胞由来腸管上皮細胞F-hiSIECが2019年9月に上市されました.

 iPS細胞由来腸管上皮細胞や腸管オルガノイドは腸のどの部分に相当するかを,発表当初よく学会等で聞かれました.そこで,我々はカニクイザルよりiPS細胞を樹立し,カニクイザルiPS細胞由来腸管上皮細胞とカニクイザル生体の各腸管部分との遺伝子発現を比較しました.その結果,iPS細胞由来腸管細胞は小腸,その中でも小腸上部の空腸に近いことが推察されました.iPS細胞の性質は同じ霊長類であってもヒトとサルで異なります.特に抵抗なくサルiPS細胞樹立と分化誘導が可能であったのも,サルES細胞の経験のお陰であると実感しました.

 上記の細胞以外に,これまで血管前駆細胞,血管内皮細胞,脳毛細血管内皮細胞,血管周皮細胞,脳オルガノイド,糸球体上皮細胞等への分化誘導法の開発も行っており,薬物動態研究の発展に少しでも寄与できることを願って研究を行っています.