受賞者からのコメント
学会賞を受賞して信州大学医学部附属病院 薬剤部
|
この度,「P450の酵素学的研究」というタイトルで,日本薬物動態学会学会賞受賞の栄誉を賜り,第33回年会(金沢,玉井郁巳年会長)にて受賞講演を行わせていただきました.学会賞に御推薦いただきました松永民秀名古屋市立大学教授を始め,関係の方々に深謝いたします.
私は,1976年4月に千葉大学薬学部薬物学研究室に学部4年生として配属となりました.その当時,薬物代謝酵素に興味を抱き,その代表的酵素の1つであるチトクロムP450(以下,P450,CYP)の酵素学的性質を明らかにすべく研究室を選択いたしました.研究室は北川晴雄教授の下,佐藤哲男先生,鎌滝哲也先生,北田光一先生と,錚々たるメンバーが揃っておられました.私は,鎌滝先生の指導の下,薬物代謝に関する基礎知識を学びつつP450の単離/精製に臨みました.その当時,北川研究室では,薬物代謝の活性化機構,脂質過酸化反応などを主体として研究を推進していましたが,鎌滝先生が留学を終えて帰国されP450の酵素学的研究に着手するということもあり,私はまさにタイムリーな時期に研究室に飛び込んだわけであります.1970年代半ばにおいては,P450の誘導性の薬物/異物による違い,動物種差/性差,酵素画分におけるスペクトル的特徴の違い等様々な観点から性質の異なる複数種のP450の存在が示唆されてきており,どの様な性質を持ったP450が何種類存在するかについて議論されておりました.遺伝子配列の違いを明確に示す技術が世に現れる直前のこの時代に,このことを明らかにする手段で確実なものは酵素を単離してその性質を比較検討することでありました.また,単離精製した酵素を用いての研究は新たな分野開拓のために望まれていたものでもありました.鎌滝先生は米国Vanderbilt大学のR.A.Neal博士の下でP450を精製しその性質について明らかにしてきたばかりであり,早速鎌滝先生の下,P450の精製に着手することとなりました.これが私がP450に関わった最初のテーマであります.
私は,P450の複数性を明らかにするためには,より多くのP450を単離することが重要と考え,多くの分画を得てそれら全てを単離していくことに没頭し,いくつの分画を相手にしたら満足するのかとのアドバイスもいただきました.そうしてP450を4種単離致しましたが,体調を崩したこともあり,それ以上研究を続ける事が叶わなくなると共に,研究結果を世に出すこともなく終了してしまいました.しかし,この挫折は私に研究を継続させるエネルギー源ともなりました.体調が回復し北川教授のご配慮により研究室に大学院生として復活するまでに3年を費やしました.この3年の間に,研究指導者でありました鎌滝先生は慶應大学医学部薬理学教室に移られ,よりよきアドバイザーでありました北田先生も他の研究室に移り,私が目的とした研究を続けることは不可能な状況でありました.その窮状を北川教授に相談しましたところ,快く北田先生の指導を許可してくださり,北田先生は留学の直前でもあるにも拘わらず快諾して下さったのです.この様にして北川先生に環境を整えていただき,Non human primatesのP450に絞って研究を進め,幾つかの成果を挙げることができました.その後,縁あってVanderbilt大学のGuengerich博士の下へ留学させていただきE. coli中でのP450の大量発現を試みましたが,中々困難なテーマでゴールにたどり着くことは出来ませんでした.しかし,留学中に経験した細胞系を用いた研究は後にとても役立つことになりました.P450の大量発現は,私のテーマを引き継いだオーストラリアからのE. Gillam博士によりゴールに導かれました.彼女はとても精力的な研究者で現在もQueensland大学教授として活躍されています.
留学を終えた後,私の研究の場は大学病院薬剤部へと移りましたが,そこでは学生時代に研究者としての私を育てて下さった北田光一教授にご指導いただき,研究課題はそれまでの薬物代謝酵素に関する研究を活かした臨床研究にシフト致しました.
1990年代初頭の臨床においては,薬物適正使用が問題とされてきている時期でもありましたが,適正に使用するための情報はまだまだ十分ではありませんでした.現在でもそう改善されているとはいえませんが,学術的な情報が乏しく,医師との議論に際しても忸怩たる思いを経験したり致しました.その中で,先ず明確な情報として獲得したかったものの1つとして,薬物の代謝に関わる酵素についての情報でありました.そういった状況の中で,基礎研究室で培ったin vitroの実験系を用いて僅かばかりではありますが,成松鎮雄先生らとの共同研究も含めて,イミプラミン,ゾニサミド,ダカルバジン,ピモペンダン,ブニトロロール等を代謝するP450分子種の同定を行い報告致しました.これらの報告の中には,医薬品添付文書に示された情報も見かけられます.一方,薬物相互作用に関してはP450を介するものが多く認められるという点から,TDMを実施して得られる情報を利用して薬物相互作用に関する研究を行いました.講演では“シクロスポリンとダナゾールの相互作用”と“3剤併用により発症したテオフィリンの血中濃度上昇”の2症例について説明させていただきましたが,同様の事例は数多く認められておりました.それに加えて,適切ではない用量設定によるフェニトイン,カルバマゼピン,ジゴキシンなどの中毒,ノンコンプライアンスによるてんかん発作誘発など,数え切れないほどの問題症例を経験いたしました.そこで,P450を中心として,薬物相互作用発現の予測,薬物相互作用の機序について検討を行って参りました.その1つとして,ゾニサミドの薬物相互作用について概説します.
ゾニサミドは広範な抗てんかんスペクトルを示し,現在では抗パーキンソン病治療薬としても用いられております.ゾニサミドは嫌気的条件下でCYP3A4により代謝されるという特徴を持った薬物です.この薬物の相互作用に関して,CYP3A阻害剤による影響についての情報はないことから検討を開始致しました.特に嫌気的代謝時の薬物相互作用が通常と同様に起こりうるものであるかを確認することも重要と考えました.嫌気的条件下におけるゾニサミドの代謝は共同研究者のNakasaらにより報告されたものです.従いまして,検討環境は整っており,in vitroにおける結果から,ケトコナゾール,シクロスポリン,イトラコナゾール,ジヒドロエルゴタミンでKi値が0.2μM以下と極めて強い阻害を認めました.この情報に投与量,血中濃度,蛋白非結合率などを考慮して臨床上でのクリアランス低下を予測し相互作用発現の可能性を検討しました.その結果,ケトコナゾール,シクロスポリンでクリアランスが20%以上低下する可能性があることが明らかとなりました.ケトコナゾールでは最高1.5倍弱の血中濃度上昇が予測されました.この結果は,嫌気的代謝時においてもCYP3Aの薬物相互作用は十分に起こりえることも合わせて示しております.
私の研究課題の1つとして,胎児期における異物/薬物代謝能の解明があります.これは,北田教授の指導により研究を展開し始めたときに,北田教授の主要研究テーマである,胎児P450に関する研究に手を染めてからのものです.しかし,実臨床では妊娠時の母体への薬物投与の可否の情報,胎児におよぼす影響に関する情報が乏しく,妊婦,授乳婦への薬物投与時には注意が必要でありますが情報は皆無に近いものでありました.そこで展開を始めたのが上述の課題であります.大きなテーマとして,胎児の器官形成期から誕生までの胎児の異物暴露への防御機構解明を掲げて研究を開始致しました.器官形成期に分化してくる肝芽細胞から肝小葉が形成され胆汁排泄までを夢見て研究を開始致しましたが,そのほんの一部を示し得ただけでした.肝細胞への分化誘導直後からの観察については,ES(iPS)細胞から得られる分化細胞を用いてというものであり,これについては,共同研究者の松永先生がプロモーションして旅立つ際に彼に夢を託しました.私は,胎児肝細胞を用いた細胞系を勝負基盤としてこれも松永先生,中村先生と共に病院薬剤部内で実施いたしました.現在では,山折先生が彼らに代わり研究を推進してくれております.胎児肝細胞(human fetal liver cells,HFL細胞)の入手はコマーシャルベースで手に入るものを探して開始致しましたが,それまで汎用していた成人肝細胞(HepG2細胞)とは若干性質が異なっていることを初期の段階で示しました.明確に違いが示されたCYP3A誘導能について検討を進めました.その結果,HFL細胞にはglucocorticoid receptor(GR)は発現しているもののpregnane X receptor,constitutive androstane receptorはほとんど発現していないことが示されました.従って,リファンピシンの様にこれらを介するCYP3A誘導は胎児期では示されず,GRを介する機序のみが機能していることを明らかにすることが出来ました.胎児肝におけるP450の機能,誘導阻害に対する情報について私が示し得たことはほんの僅かですが,このような情報の蓄積により,胎児の安全が確保された母体への薬物投与がなされるようになればと思います.これからの発展に期待致します.
最後に,私の研究の道筋を作っていただきました北川晴雄先生,研究とは何かを教えて下さいました鎌滝哲也先生,公私にわたって私を支えて下さり,研究推進に全面的に指導して下さりました北田光一先生に深謝いたします.また,研究推進に際し,昼夜を問わず大変な情熱とエネルギーを持って素晴らしい研究成果を創出してくれました全ての共同研究者に心から感謝いたします.