受賞者からのコメント
奨励賞を受賞して名古屋市立大学大学院薬学研究科臨床薬学分野
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この度,日本薬物動態学会奨励賞という名誉ある賞を賜りまして,大変光栄に存じます.日本薬物動態学会会長の大森 栄先生をはじめ,副会長,理事,評議員,選考委員の先生方,ならびにご推薦いただきました松永民秀先生(名古屋市立大学)に厚く御礼を申し上げます.本稿では,受賞対象題目となりました「ヒトiPS細胞由来組織細胞の作製と薬物動態試験への応用に関する研究」について,簡単に述べさせていただきます.
私は学生時代,湯浅博昭教授(名古屋市立大学)の研究室に配属となり,消化管における薬物代謝に関する研究をさせていただくことになりました.研究室は雰囲気もよく,そこで研究を続けているうちに徐々に薬物動態に関連した研究を行っていきたいと思うようになっていました.そして学位取得後は,政田幹夫教授(福井大学医学部附属病院薬剤部長,現大阪薬科大学学長)のもとで,病院薬剤師としての研鑽を積んだ後,再び名古屋市立大学に臨床系教員として赴任いたしました.
私が赴任した当初は,松永教授がヒトiPS細胞から肝細胞への分化誘導研究を進めておりました.しかし,医薬品の多くは低侵襲性および簡便さの観点から経口剤として用いられているということ,また,小腸には多くの薬物トランスポーターや薬物代謝酵素が発現しているということから,経口投与された薬物の初回通過効果においては肝臓のみならず,小腸も非常に重要な役割を果たしています.したがって,肝細胞とあわせて小腸の細胞もヒトiPS細胞から作ろうということになり,私は消化管における薬物動態を評価可能なヒトiPS細胞由来小腸細胞の作製を中心に研究を進めることとなりました.しかし初めのうちはどのようにすればiPS細胞から目的とするような小腸細胞を作ることができるのか全く見当がつかず,とても苦労しました.というのも,私は薬物動態学や臨床薬学を専門としており,これまでに幹細胞生物学や発生生物学には全く触れたことがなかったからです.ヒトiPS細胞由来小腸細胞を使って薬物動態の評価をするためには,当然ですが,まずはその細胞を作らなければなりません.しかし私には,そのために必要とされる知識や実験技術が全くと言っていいほど不足していました.また,当時ヒトiPS細胞から腸管への分化の報告も全くありませんでした.そのころ当研究室では肝細胞への分化誘導を発生過程に沿った方法で行っておりましたので,私もひとまずはそれを模して小腸への分化を行うこととしました.小腸細胞への分化誘導研究を始めて間もない頃,アメリカの研究グループが世界で初めてヒト多能性幹細胞(ES細胞,iPS細胞)から腸管組織の作製に成功したとする報告がNature誌に掲載されました(Nature, 470, 105−109, 2011).この論文では,腸管の発生の過程を模倣し,多能性幹細胞から内胚葉を経由して作製していたことから,それを読んだとき,私が今行っている分化誘導法で小腸細胞を作製できるだろうという確証を得ることができました.ただ,彼らは三次元の腸管様構造体(腸管オルガノイド)を作製しており,これは小腸上皮細胞だけでなく,杯細胞やパネート細胞,内分泌細胞,平滑筋など腸管を構成しているさまざまな細胞を含んでおりました.また,この腸管オルガノイドは内側が刷子縁膜側という構造をとっていました.したがって,薬物動態を評価するには腸管オルガノイドでは難しく,やはり二次元的に単層膜を形成することが重要であり,さらに,小腸上皮細胞をより選択的に作製する必要があると考えました.そこで,どうやったらそのような細胞を作れるか試行錯誤を繰り返していきました.試行錯誤の末,腸管上皮マーカーや薬物代謝酵素,薬物トランスポーターを発現し,PEPT1を介したペプチド取り込み能を有するヒトiPS細胞由来腸管上皮細胞を作製することができ,日本薬物動態学会第27回年会およびDrug Metab Pharmacokinet誌に発表しました(Drug Metab Pharmacokinet, 29, 44−51, 2014).この成果は,年会およびDMPK誌において,ベストポスター賞ならびにDMPK Editors’ Award for the Most Excellent Article in 2014(3rd Place)を頂くことができました.
しかし,この方法は腸管上皮細胞への分化誘導効率が十分ではないため改良する必要があると私は考えていました.また,薬物動態学的機能の解析も詳細に行えていませんでした.そこで,より効率的な腸管上皮細胞の作製を目指し,分化誘導法の改良に取り組みました.腸管の発生や成熟に関連した論文などを参考にさまざまな液性因子や低分子化合物のスクリーニングを行いましたが,なかなか有用な分化誘導因子は見つからず,行き詰まりかけていた時,偶然にもいくつかの低分子化合物が腸管上皮細胞への分化を促進するのではないかということを示唆するデータが得られました.そして,詳細な検討を重ねた結果,mitogen-activated protein kinase kinase(MEK)阻害剤,DNAメチルトランスフェラーゼ阻害剤およびtransforming growth factor-β(TGF-β)阻害剤の併用が,ヒトiPS細胞から腸管上皮細胞への分化を促進することを明らかにすることができました(Drug Metab Dispos, 43, 603−610, 2015; Drug Metab Pharmacokinet, 31, 193−200, 2016).発生生物学や幹細胞生物学の素人である私がこういった化合物を見出すことができたのは本当に幸運であったと感じています.また,この成果を報告した論文では,本年度再び日本薬物動態学会のDMPK Editors’ Award for the Most Excellent Article in 2016(3rd Place)を頂くことができ,大変感謝しております.
この分化誘導法を確立した後,分化誘導した腸管上皮細胞の薬物動態学的な機能の解析を行ったところ,薬物代謝酵素活性(CYP,UGT,SULT,CES),1α,25-ジヒドロキシビタミンD3によるVDRを介したCYP3A4発現および活性の誘導,PEPT1やBCRPを介した薬物輸送活性が認められました(Drug Metab Dispos, 43, 603−610, 2015; Drug Metab Dispos, 44, 1662−1667, 2016; Biochem Biophys Res Commun, 486, 143−148, 2017).低分子化合物を用いた方法は簡便かつ低コストで分化誘導が可能であることや安定した効果が得られることなどから,非常に有用な方法であると考えられます.また,現在消化管の薬物動態は吸収と代謝が別々の評価系で解析されておりますが,このヒトiPS細胞由来腸管上皮細胞は薬物代謝酵素および薬物トランスポーターの活性,CYP3A4応答性を有していることから,ヒト消化管における薬物の吸収過程を総合的に評価可能なモデル系としての利用の可能性がこれら一連の研究成果から示されました.
一方,ヒトiPS細胞から肝細胞への分化に関しても,分化促進および薬物動態学的機能の獲得に有用な低分子化合物としてバルプロ酸を見出すことができました(PLoS One, 9, e104010, 2014).バルプロ酸は臨床の現場では古くから抗てんかん薬として用いられています.また,γ-アミノ酪酸(GABA)トランスアミナーゼ阻害作用,Na+やCa2+チャネルの遮断作用,ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害作用などさまざま作用を有しております.そこでどういった作用が肝細胞への分化誘導に効果的なのか検討を行った結果,HDAC阻害作用が肝細胞への分化に重要であることが明らかになりました.さらに,この分化させた肝細胞は,CYPをはじめとした薬物代謝酵素活性やリファンピシンによるPXRを介したCYP3A4の応答性など薬物代謝に関連する肝特異的機能も有しておりました.
現在は,さらに効率的な分化誘導法の開発や薬物動態学的機能の詳細な機能解析を行いつつ,Organ-on-a-chipへ搭載可能な細胞としての利用に向けて研究を展開しております.また,今後実際に評価系として利用するうえでどのようにしたらよいか,どういった評価が可能かという点なども考えながら進めております.そして最終的には近い将来,このヒトiPS細胞由来小腸細胞と肝細胞が,薬物の初回通過効果や相互作用をより正確に予測できるようなモデル系となりうるよう,この受賞を励みとして研究を進めていく所存です.
最後になりましたが,本研究を遂行するにあたり,終始温かい御指導・御支援をいただきました松永民秀先生(名古屋市立大学),薬物動態研究に携わるきっかけを与えていただきました湯浅博昭先生(名古屋市立大学),井上勝央先生(東京薬科大学)に心から感謝申し上げます.また,さまざまな御支援をいただきました共同研究者の先生方,当研究室の先生方や大学院生・学部生の皆様に厚く御礼申し上げます.